自己洗脳とクリプキの可能世界意味論

 ビジネスにせよ、人間関係にせよ、哲学的な思想は実はかなり役に立ちます。自己啓発本などはかなり売れますが、その大元は哲学書から引っ張ってきてるものも多く、現実に即して言い直してるものが多いです。たとえば洗脳というと胡散臭いと思うかもしれませんが、事実我々は洗脳状態に陥っています。
 ビジネスレベルの洗脳などは非常に簡単な話で、物を買わせるように誘導すればいいだけの軽い洗脳です。恋愛がもっとも強固な洗脳といえます。つまり、46時中そのことだけを考える状態に相手をもっていければそれは洗脳といえます。その際自分が思ってほしいことの道筋論理で考えさせるようにすることが洗脳をする際に考えることです。相手が自分が考えてほしいことをずっと考え続ける状態が続けば、相手は自分のいかようにも操作できます。実際こちらに心酔してなくとも、論理に支配されてるので相手はそれに基づいてうごくことになります。


人には無限の可能性が備わっています。

人というよりも、もしかしたら未来という言葉の方が適切かもしれません。

なぜ未来が無限なのかといえば、その理由はとてもシンプルで、未だに来ていないからです。

手元に存在する実物なら確かに変更も交換も難しいですが、まだ来ていないものはいくらでも変更も交換も可能です。

もちろん何に変更するか、何に交換するかは、個人の選択であることは前提として、その選択がいつでも誰でも自由に出来るということがとても重要です。

そして未来には、私たちの過去も現在も塗り替えるほどの大きなインパクトとパワーが備わっています。

それは一人一宇宙という、クリプキの可能世界意味論以降のパラダイムです。


さて未来が無限大であると理解すると、私たちは一足飛びに未来に飛びつきたくなりますが、きちんとルールが存在します。


サイコロに例えて考えてみます。

区別のできるサイコロが2つあったとき、そのサイコロからは36通りの目が出てきます。
もちろん、サイコロが紛失したり、壊れたりといった事象はないと仮定します。

実際サイコロを振ったとき、出た目の組み合わせが3と4であったなら、残りの35通りは全てなくなることになります。

確かにもう一度サイコロを振ることは可能ですが、ワンステップ前のサイコロを振った瞬間は、消えることはありません。

このように考えるとクリプキの可能世界意味論では、過去は一意に決まるものであるとの解釈になりますが、私たちがよく知るように現実はそうではありません。

なお、一人一宇宙とはこの反証を含めた可能世界意味論よりもひとつ先のモデルです。

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@ぶつぶつしゃべりながら教室でドクターとすれ違ったことのあるソール・クリプキ


過去の出来事は変えられないが、過去の出来事の持つの意味は変えられるように、未来もどんな出来事が起こるかわからないが、未来の好きな出来事を選択できるというのが、ざっくりした結論になるでしょう。

それを自由と思うか不自由と思うかは、コインの裏表のような関係であり、この事実をどう解釈するかは個人に委ねられるということです。

少なくとも私は、それを自由であると考えます。


パラドキシカルですが、自由とはある意味不自由であるということです。

一見何もないような世界にも、きちんとルールが存在し、そのルールさえ守ることが出来るれば、自由に跳び回ることが可能です。

ルールと言っても、憲法や民法のように、たくさん条文があるわけではありません。
公理とも呼べる、数少ないルールです。

そして私たちの自由は、この制約を知ることから始まります。

重力という不自由さえも、きちんと意識にあげることができたのでそこで初めて別のアプローチが可能となり、現代の飛行機が存在します。

どんなに運動神経が優れていても、そのままで空を飛ぶことは出来ません。

確かに仕事でも、パフォーマンスの優れた人は、何ができて何ができないかをよく知っている人であることに気づきます。

出来ないことがわかったとき、もっといえば自由な空間での制約がわかったとき、初めて私たちは何ができるかが明確となり、自由となることが可能です。


物理空間は物理法則という一番制約の強い空間
逆に情報空間は制約がほとんどない自由な空間
制約を理解して、情報空間を跳び回りましょう!
私たちの自由とは、何が出来て、何が出来ないかを知ることから始まります。
制約を選ぶという視点が、ゴール設定の別の見方のように思います。
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